音の位相や抜き差し。ジャンルは違うけどカリブーの『Suddenly』を思い出した。
スムース・ソウル系は聴いているときの自分のコンディションで結構聴き心地が変わる。あと、やっぱり70年代の作品のほうがよく聴こえる。
マキシマム ザ ホルモンしかり、銀杏BOYZしかり、日本の作家が実験的な音楽をやろうとしても、そこに日本的な叙情をのせるとそれはフォークになってしまうという病がある。GEZANもそう。マヒトゥ・ザ・ピーポーがあの声で朗々と歌い始めるとき、GEZANの音楽はかならずフォーク化する。GEZANの活動が政治的なのは別にいいけど、かれらの音楽をまず政治的に褒めるようになったら、それは音楽的な目新しさは見当たらなくなったという理解でよい??
やばい、もう覚えてない。ふつうの楽器をふつうに鳴らしたふつうのインディーでした!
うーんこの手の「テクノの新作」は、ふつうに良いな〜以上の感想をもつことがない。
デヴィッド・バーンの直近のツアー・セットリストを見ると、彼の現在のモードは『Speaking In Tongues』から引き継がれたものであることがわかる。『Remain In Light』ではなく。『Remain In Right』はB面のドラムスの音が良すぎて最高なんだけど、『Speaking In Tongues』はソングライティングに傾倒したアルバムという印象がある。
フォークとかサイケロックとか。70年代日本、このころの言葉のチョイスや乗せ方は、いまできない感覚でおもしろいね。いま歌詞を書くなら意識/無意識を問わずソーシャルメディアからの影響は避けられないわけだけど、これはテレビすらあるかわからない部屋から生み出された音楽という感じがする。
なんで聴いたことなかったんだろう、極上のディープ・ハウスだ。ケラーニの新作を聴いたときも思ったけど、なぜかわたしたちの耳はオーセンティックなものを聴いたときに「極上だ」と思うようにできている? ふしぎだ。
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ジャケはbackroomsっぽい。近年のPitchforkのアンビエント・ダブ推し。ふつうに良いけどあまり作家・作品ごとの個性があるかというと、、、。
ひさしぶりに聴くとDos Monosすぎて笑う。でもこういう音楽性から匂い立つ「Xの音楽オタクっぽさ」ってなんなんだろうな。フライング・ロータスだと、先日でたEP『BIG MAMA』がフェイバリットです。
ジョーディー・グリープはソロ作品のリファレンスに、サンタナは挙げていなかったはず。近年、サンバ・ロックやラテン・ロックを振り返るときに、なぜかサンタナの名前が挙がることはほぼない。サンタナをSpotifyで調べると関連アーティストにレニー・クラヴィッツやTOTOの名前がならぶように、音楽マニアとは違う位相に功績を残してきた作家なのだろう。でもそういうアーティストが実は重要っていうのが、“いま”の時代って話でもある。
2018、2019年のアール・スウェットシャツ、MIKE、Medhane、Wikiなどの喧騒を思い返す。あのヒリヒリとした刺激はもうどこにもない。
単純にジャズポエトリーという形式に飽きた。音像にもあまり目新しさを発見できなかった。
ディスコなので、テイストでいえば『Thriller』よりこちらのほうが好み。でもアルバムのトータリティや「マイケル濃度」では『Thriller』が上回る。『Off The Wall』は、70年代の良きブギー〜ソウル〜ディスコの究極形、という感じ。
けっこう歪さもあるのに、聴いていて驚くほどストレスのないアルバム→そりゃ売れるだろ。ポール・マッカートニーとの「The Girl Is Mine」がすごく好き。ポールはシンガーとして最高だなあ。
「いまだに酔ってるよ自分に」(「im」、2019年)。dodoのInstagramの投稿の、ネタなのかガチなのかわからない謎のニュアンスのあわい。「im」のセンチメンタルな物語はここにはもうない。ツーラインごとに視点も気分もうつろう、ナンセンスな言葉を取り分け、ひとつの大きなパッチワークとしてリスナーに差し出すこと。だからアルバムは出すたびに長くなっていくんだ。Mall Boyzの新作もかれらのアルバムでいちばん長尺だった。
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