聴き返したら結構いい。いろんな情報によってあっという間に人々の記憶を過ぎ去ってしまった印象のあるアルバムだけど、曲は結構しっかりしてる。音があんまり良くないのが難点。
完璧に近いポップソングが6曲集まっていれば、そこにコンセプトなんてなくとも、素晴らしいアルバムになってしまうということを証明した作品。ある意味では、マイケル・ジャクソンの『Thriller』もそれに似たアルバムかもしれない。 「It's Alright」では、藤井風が繰り返すIt's alrightというフレーズが、「まつり」と空耳されるようになっている。
2014年にこんな音楽があったとは。ハイパーポップやフォンク以後の発想にしか思えないほど過剰で、暗い。ただ、フレンチ・エレクトロやニューレイヴとも地続きだ。自分のなかでは、2006年から2020年代まで一本の線が引けた。発表当時は日本語圏でほとんど言及されず、後年英語圏のネットで見つけ直された一枚。こんな音楽を受け継ぐひとが世界のどこかにいる。自分は一生、こういうドパガキ的な音を好きなまま死んでいくのかもしれない🥹
ポストパンクというか、ビートロック文脈のドラムのバタバタした感じがすごいいいと思った。ビジュアル系のアルバムの中でも、屈指の聴きやすさを感じた。
ジェームス・ブラウンは声のアーティストなので、バンドの演奏自体に心躍らなかったとしてもさして問題ではない。10分近くあるいは20分近い反復と持続するグルーヴは、さすがに聴いてて「おお〜♪」となるものがある。
やっぱりオールド・スクールなトラックやフロウ、自分に合わない。
高校生の時に聴いていたイメージと違って、クイーンは思った以上にポップバンドであり、だからこそ、節操なく様々なジャンルに染まっていく。
20代前半には制約がない。ツアーの予定も少ない。ギターのアルペジオのバリエーションは、楽器を触る時間が長いほどに生み出されていく。
声優の「演技」やSEだと思っていたものが、楽曲として組まれたものでびっくり(「橋の上の戦い」など)。「セイレーンからは逃げられない」のストリングスやホーンはディズニーランド感ある。「机さする」は本当はもっとキック&スネアがあった方が好きだけど、3番くらいからビートが入るよね、最高だ。
ブルーズ。ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズにもブルーズの血が通っていることを認識するための。
のちのレイジやプラグ(plugg)やジャーク(jerk)っぽい音の断片を、それ以前のラップミュージックのビートに見つけるとやっぱり嬉しい。でもそれだけ。
寝れない夜のアンビエント(失敗)、スタッカートやコラージュ的な音づかいが顕著で入眠には向かない。つまりある意味では「音楽的」すぎるのだ。
寝れない夜のアンビエント、とても入眠に向いている。①短いフレーズの反復。②ホワイトノイズ的なランダムな音(テープ劣化による音の粗さ)。③管楽器的な音色の親しみやすさ(身体への馴染みよさ)。
「君と羊と青」や「狭心症」のころ(『絶体絶命』)のRADWIMPS。Mrs. GREEN APPLEのストリングスやギターの音響設計を聴かずに、イントロ15秒で判定して処理している人は批評の側にもかなり多い。「話題作はみんな同じ褒め方しかしない」の裏面で、貶し方も、出回っている語彙を借りて揶揄している。
James Blakeの重要な作家性のひとつが「声」の使い方にあることが、最近わかってきた。ジャケが良い。
若年寄というか、こんなにも演奏やリリックに小慣れた感じを持ち込めるのがすごい。
アフロビートだけど、「アフロビーツ」的な鳴りがあるのを見つける。
LEXの妹であるとか知らなかったのに、知ってる曲が何曲もあった。まず声やフロウの力があるラッパーだし、トラックも普通に聴けてよかった。
ermhoi関係の作品で一番好きかも。かつてのermhoiの作品にあった気負いやカマシみたいなものが後退し、没頭したアブストラクトな電子音だけそこにある、みたいな音楽。
「Paranoid Android」は90年代的な曲で、時代性が刻まれすぎている。「Airbag」はとても現在的。Royal BloodやFoo Fightersの近作みたいだもん。ライブの定番「Let Down」や「Karma Police」は少しも価値の落ちることのない、トム・ヨークの作曲力の極致みたいな曲だけど、でもアレンジはやっぱり……。Radioheadはいまの気分だと1. 『Pablo Honey』、2. 『Amnesiac』、3. 『Hail to the Thief』の順に好きです。
『The La's』、数年間のセッションを経て結局メンバーはアルバムを出せず、レーベルに圧力をかけられたスティーヴ・リリーホワイトが一人で完成させ、メンバーはそのプロダクションに不満というアルバム。なるほど後年にリリースされた他のセッション音源と聴き比べると、そのパーカッシブなギターは最高だ。でもまず奇跡のような12の楽曲をつくるソングライティングに感動。ラーズのギターには完成されたロック・ギターの音というより、フォークやスキッフルの初期電気楽器のような原始的な響きがある。ヴィンテージ風というより、初期ストーンズやマージービートの時代に録音技術も演奏様式もまだ固まりきっていなかったころの可能性を、本気でもう一度やり直そうとした感じがある。「Son of a Gun」はくるり「LV45」に似ている。
ふつうのアルバムの聴き方、ぼおっと何かしながら聴いているうちに気づいたら次の曲に入っている、まったく別のジャンルの別の曲に移っているがアルバムとしては共通の一つのテーマやムードを共有している。この「S G T A P E」シリーズはその記憶や意識/無意識下の作用を意図的に生み出そうとしたものだ、気づいたら景色が変わっていたり気づいたら眠りに落ちていたり、そうした小説的なドラスティックな変化を一つの楽曲という形式のなかに持ち込もうとするものだ。
最悪な気持ちと最高な気持ち、最悪な気持ちが毎日を覆っても、それを覆すハッピーな音楽の作者、曽我部恵一もきっとクソな気持ちをどこかに抱えてる。ラッキーはそのうちやってくる、だけどハッピーなんて一生待ってもやってこない、でもそれが楽しいんじゃん。幸あれ!!
過剰なデジタルサウンドとロマンチシズム。Q; indivi→in the blue shirt、Porter Robinson。日本の広告/J-POPからネット・トラックメイカー文化を経て、Porter的なポストEDM感性に至る系譜。
『わすれもの』にもいえることだが、レイ・ハラカミの音楽には時折、子供の描いた絵や、飼い犬のまどろむ姿にも似た暖かみを感じることがある。もちろんそれはこのリイシュー版アートワークの印象に引っ張られてのことだが。しかしビートだけで構成された音楽でここまで表情やムードを喚起するのはやはりすごいな。これに近いことを現在やっているのがupsammyやFour Tetなんじゃないだろうか。現在のIDM系アクトは、いずれも抽象性やインテリジェンス、あるいは個別の音色を突きつめる方向に逃げている気がする。
エコーやコーラスの効いた80年代風ギターがあっても、グルーヴや歌唱まで機械化・異化されていなければ、わたしの思うニューウェイブには聞こえない。80年代のポストパンク/インディーロックから受け継いだギターの質感。
「Serve The Servants」が好き。音圧と、いびつなコード感だけによって形成された音楽のひとつの究極形!
口ロロもあまり思い入れはないけれど。
「くつずれ」や大名曲「机さする」が作詞:ナガノなの、やば! 言葉をあつかう手つきや選択のシャープさがすごいのだと思う。ストリングスの音がとても良い。
日本語詞のウォーク性の高さが悪目立ちする。ことばを仕事道具にしている人が、ことばを上手く使いこなしているとは限らないよな。でも音楽はカッコいい曲も何曲かある。
ラルクはJ-POP、2000年代初頭らしい過剰なシンセサイザーや女声コーラスに、一応ニュー・ウェイブの残り香を宿したオルナテイト・ギター。
渡辺貞夫による『スーパーマリオワールド』、近藤浩治による『スーパーマリオブラザーズ』、『スーパーマリオブラザーズ3』。特に近藤浩治、ジャズをベースに、カリブ、ラテン、クラシックまでいろいろな要素をチップチューン・サウンドに落とし込んでいてすごい。また、『ゴッドファーザー』みたいに昔のハリウッド映画では一つの作品に同じフレーズが何度も出てくるけど、『スーパーマリオブラザーズ3』でもそれと同じことをやっている。
いつだって僕は、ラインを越えていたかった。いつだって僕は、モラルの欠如したひとでいたかった。テーブルを叩きつけたようなキックが機械的に高速連打され、リスナーは何かにせき立てられるような感覚を快楽と誤認してしまう。その快楽性にもかかわらず、長谷川白紙という作家はその主義や文脈過多によって非常に混線した語りしか許されないムードが蔓延している。低音が強調され『草木萌動』のころより録音物としてのクオリティが格段に上がっている。
ビッグ・ルーム・ハウスのメロウな部分だけを切り出したような音楽。いわゆるEDMが枝葉とするなら、このアルバムは「地下水」のような作品だ。
以前書いた感想:ドリルもジャージー・クラブも流行ってない(©︎蓮見)。Central Ceeはポップスとして聴ける。
もはやAriana Grandeはつるんとしたポップしか作らない作家になってしまった。『thank you, next』は夢中で聴いていたんだけどな。でも今回も良い曲が2、3曲あった。
『Same Thing』で覚醒する前の星野源。「SUN」以降ソウルを取り込んだが、「SUN」のシンセベースはJusticeだし、いびつで垢抜け切っていない作品ではある。あとソングライティングも未熟。インストの曲はSAKEROCKを思い出す。
寝れない夜のアンビエント。テープ劣化による音のローファイ化以前に、そもそも元になった6秒間のテープ・ループが良すぎる説。アブストラクトなフレーズ、管楽器か弦楽器かわからない音色、中盤で入ってくるホーンも良い。
「ロバート・グラスパー以降」も擦られすぎたのち、次の今日的な「今どきのジャズ」は2020年が一つの始まりだったと思う。ジェフ・パーカー、シャバカ、マカヤ・マクレイヴン。USもUKも次のシーンが出てきたころだった(Moses BoydはUK)、まだXでは大きな話題にはなっていなかった。天野龍太郎さんがこのあたりの作品をよく聴いていた。「Brainfeeder周辺〜」は今やほぼ効力のない枕詞だと思う。
以前書いた感想→初めて聴いたけど、こんなんやってる人2011年にヤング・ファーザーズ以外にいたんだ。つまりUKラップ・ミュージックのなかでKlan AileenやYHWH Nailgunみたいなポストパンク〜ロック的なサウンドをやるってことなんだけど。いや、いろいろな捻れがあって、あまり無闇にジャンル名や固有名詞を上げて語るのはXの音楽好き仕草すぎるか。
以前書いた感想:長いけどダレるところはない、ハイライトを分散させて読後感は快調という意味では名盤然としたアルバム。かといって傑作を作ろうという気概は、あるだろうけどそこまで顕在化していない。ゲストを招きジャンル横断的でオーセンティシティもある作品、だからヒップホップ原理主義者にもウケた。
過食症的というか、自傷としてのヒリヒリとしたドリルンベースと、積もる内省の発露としての現代音楽的なピアノ。過激なビートを背景に、穏やかなピアノが鳴っている。マキシマリズムと抑制の対比と並置は、(Rate Your Musicではリダクショニズムと説明されるが、)90年代音響派やエレクトロニカにも通底するテーマであり、エイフェックス・ツインはこのテーマの拡張としてこの冗長なトリプル・アルバムを仕込んでいたとして。エイフェックス・ツインは1. 『Richard D. James Album』、2. 『...I Care Because You Do』、3. 『Drukqs』の順に好き。
やはり破裂音のようなキック&スネアに、耳元で鳴らされたようなベースラインが至高。リトル・シムズの中では一番好き。(以前書いた感想はこちら→あれ、そこまでリトル・シムズ好きじゃないかも?と思った。もちろん「Offence」に始まる甲高いスネアやベースラインを強調したいかにもUKらしいプロダクションは、ポストパンク・キッズとしてはたまらないんだけど、それだけ。いわゆるヒップホップ原理主義者的な人たちがリトル・シムズを持ち上げてきた文脈が、マジ何も理解できていないかもしれない。だって、リリック聴かないしな。)
自宅でオオクワガタとコクワガタを飼っている。オオクワガタの装甲車のような外骨格と、その凶悪な見た目に反する動きの鈍さを見てほしい。コクワガタの飼育動物とは思えない「虫」としての存在感の薄さと、その希薄さに反する警戒心の強さや危なっかしさ(彼はすぐに逃げ出そうとする)を見てほしい。『Mezzanine』はたぶんそういうアルバムであり、戦闘力の高さとしなやかさを併せ持った作品なのだろう。ちなみにこのアートワーク、『Led Zeppelin I』や『Licensed to Ill』がともに男性器を模ったジャケであるのと同様に、このクワガタも男性性の象徴である。
わたしたちはナラティブでしか物を見、物を聴けなくなってしまった。The Caretakerの音楽を楽しむうえで、彼の活動名義や作品のもっているナラティブに触れることは不可欠だ。なぜ音ネタにポップ・ミュージック以前のブリティッシュ・ダンス・バンドが選ばれているのか。
『IN A MODEL ROOM』(1979年)とコンセプト(当時のP-MODELにそんなものはあったのか)と一部の音色を共有しながらも、全体的な印象はここ20年間の「ヒラサワ」のそれに置き換わっている、教会音楽を思わせる音像やファルセット。音色は80年代のエレクトロインダストリアルみがあるが、でも2025年の音楽として聴ける。平沢進も70代、制作の中枢に若く優秀なスタッフが複数人いると推測する。でもボーカルが情念的すぎるかな。1980年日本、テクノポップ御三家のうち、プラスチックスは分解、ヒカシューはアングラ/演劇化、平沢進はカルト化。彼らの界隈からは佐久間正英以外にもマス化する存在がいてもよかったはずだが、細野晴臣という怪物が、すべての資源を食い荒らしてしまった(戸川純とかね)。
「印象に残っているフレーズあるけど何て曲だっけ?」と思ったら、全然思ったのと違う曲のBメロとかだったりする。イントロ、ヴァース、ブリッジ、コーラスで表情を変える楽曲、だけど一曲のなかでムードの一貫性は担保されている。という意味で藤井風と2010年代以降のサカナクションは似ている。
偏屈さ信仰、余剰拍、直感に反した音の転じ、楽器系ショート動画クリエイター。The Residents、The Locustに連なる仮面の系譜。Japanのミック・カーン、ZAZEN BOYSの吉田一郎に連なるズラしや抜きのあるベースの系譜。民族音楽的なフレーズの9mm Parabellum Bullet的なダサさを、マス・ロック的な格子状のグルーヴに転換している。ギターのショートディレイ、スネアのディケイの短さ。初期フジファブリックやZAZEN BOYS的な音楽的素養の高さ(風の)作曲は洋楽ファン好み。「高尚な音楽を聴きたい」という欲望の受け皿になっているのに、中身は俗っぽいというねじれ。
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もう2年前か。
ちょっとビョークすぎるか。音づかい、リズムの崩し方、歌唱法。