インタビューで「僕はそれほどソングライターというわけではないんです」と話していたが、実際にこの即興演奏を集めたライブ・アルバムはスタジオ・アルバムと同等の輝きをもっている。「〜〜(地名) Special」と名づけられた録音はそれぞれ即興的な演奏で、音楽性はクラシカル・クロスオーバー、ダンス・ミュージックなどに及んでいる。
3曲目「Between Moods」がin the blue shirtsみたいでビビった、やばすぎ! 初期FKJが「フレンチ・エレクトロ」文脈で言及されていたの、まったく理解できてなかったんだけど理解できた。
2022年ごろからカントリーのサブジャンルの新譜を聴くようになっていた、progressive countryやプログレッシブ・ブルーグラスなど、最初のうちは全然わからなかったし、パンチ・ブラザーズの前作もよくわかっていなかった。でもこの新作はどうだろう。パーカッシブなギターはまるでポストインダストリアル的だし、曲もカラッとしていて良い。やっぱり猛暑の夏にヒイヒイ言いながら部屋で聴くのがいいんですかね。
ミュジーク・コンクレートといえばザ・ビートルズ「Revolution 9」なんだけど、このアルバムはそのジャンルの領域の広さがよくわかる。ほぼ既存音源のカット&ペーストという感触だし、ロックというより完全に(ジョン・ケージ的な意味における)実験音楽の作曲。でも初期のザ・レジデンツもこういう感じだよね。ザ・レジデンツとフランク・ザッパは近いシーンにいたし。
アンビエント〜グリッチというよりは、エレクトロニカ以降の手札だけで作ったシューゲイズ・アルバム。 確実に、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『loveless』の彼岸の先にある音楽。記憶していたよりもギターがはっきりと鳴っている。mbvがこんな3作目を作ったらどんなによかったか。
「サマー・ソルジャー」を聴きたくて。飾らないはずなのになぜか胸をついてくる言葉の数々。サニーデイ・サービスは『the CITY』(2018年)が一番好きという、再結成後に出会った世代だけど、『愛と笑いの夜』のころから曽我部恵一のソングライティングはすでに完成されていたことに気づく。音像には渋谷系の残り香があるんだけど、演奏も作曲も早熟というか。
「Shack Up (7" Version)」を聴きたくて。ギャング・オブ・フォーもそうだったが、この時期のポストパンク(系譜の)バンドはスタジオ・アルバムとは別の形でしか聴けない楽曲が多い。『acr:set』はMute時代の曲を集めたベスト盤、わたしはア・サートゥン・レシオだと「All Night Party」が一番好きだが収録されていない。1980年リリースの「Shack Up」の時点でファンクだし、このバンドの音楽的な胃袋の大きさがよくわかる。そして、ギャング・オブ・フォーがポップ化しようとしてスベッていたような見苦しさも彼らからは感じない。というか、ポストパンク→ファンクへの変容って、トリプルファイヤーじゃん。
やっぱりクアデカは特別。シンガーソングライター色で人間力に寄ることも、過剰なアート性でインテリ風に持て囃されることもしない。本当に自分のやりたいことだけで自然と実験性に行っている感じがする。実際、この「ミックステープ」はそこまで作品としての完成度は高くないように感じる。だけど、無垢な感性で音楽と接したときにその音の意外性にギョッとする感じというか、それが強い。
シューゲイズの残り香、羊文学の演奏、YOASOBIの作曲もひと匙だけ。今っぽさ、それも座布団忍者が言及していた、少し冷笑されるタイプの(1年遅れの)今っぽさが全部入った音楽。どの曲だったか、明らかにアウトロが8小節以上長すぎる曲があった。自身らのやりたい音楽や演奏に、曲が追いついていないケースだと思った。Jロックのバンドに長いアウトロは、くるりくらいの実力ないと難しい。
やっぱりただのシンガーソングライター・アルバムって苦手。作曲そのものがもつ情感だけで押す、みたいなものが自分の音楽の聴き方と合わないのだと思う。
The xx、『I See You』しか聴いたことがなかったが、本質的なムード作りや控えめな歌声の静けさはキャリアを通して変わっていないようだ。でもこのアルバム、どうして当時そこまで評価高かったのかわからない。早い話、2010年代のインディー・ポップの雛形を作ってしまったアルバムなのだろう。
チャーリーxcxはもう、愛すべき失敗作をつくる作家ではなくなってしまった。『Music, Fashion, Film』は30分7秒のコンパクトさ、まがいもののギター・リフという、A.G.クックの各種ソロ・ワークを思わせる人を食ったアルバムだ。世の中には、愛すべき「70点」の作品というのが映画にも音楽にも数多くあって、本作は確実にそのタイプの作品。なんだけど、マーティン・スコセッシ、マーク・ジェイコブス、ジョン・ケイルというキャリア晩年の大家ばかりを集めたアルバム・カバーや、先行シングルの「ロック的」な音楽性や彼女自身の発言は、確実に「カマし」を含んだものだったし、正直どこまでがシャレでどこまでがマジなのかよくわからない。それは重要ではないのだろうけど、そういう「ノイズ」が作品との向き合い方に与える影響は意外と大きい。 追記: 聴き直した。すみません傑作でした。
♥ 1
あるジャンルに依拠しないと、作家は自身の音楽的素養の乏しさを露呈していく。ファーストはポストパンクに依拠していた。セカンドでダンスパンクに広がった。サードは、パンク・ポエトリーという手法を使った凡庸なインディー・ロックに希釈された。
『Selected Ambient Works Volume II』の22年後、こんなアンビエントが生まれたよ。無意識と意識の狭間を縫うような音像、メロディーの親しみやすさ。
初期MAN WITH A MISSIONみたいだと思った。まあどちらもハードコア・パンクなので。
自由な音遣い、という感じ。(ermhoiとは関係ない話として)DTM、そしてAI制作と、作曲の自由度が時代とともに上がっていくなかで、あらゆるサウンドパレットから自由に音色を選び、そして拍子に囚われず音を配置していくことができる。ビリー・アイリッシュのファースト・アルバムを初めて聴いたとき、吐息を感じる音の耳への近さ、2010年代前半のDTMなら考えられなかっただろう音色の幅、そしてそれらをメジャーでやることによる完成度の高さにまず驚いたんだった。長谷川白紙『草木萌動』を初めて聴いたとき、ある意味で直感的といえる拍子を無視した音の配置、クリシェを無視した縦横無尽に動くメロディラインにまずヤラレたんだった(低音が効いていなかったが)。ermhoiも類まれなる才能にあることに間違いはないが、でももう、こういう「予測不可能」で「刺激的」な音楽をそこまで求めてない自分にいちばん驚く。
ギャング・オブ・フォー。初期のダンスパンク期はもちろん素晴らしい。が、80年代半ばに差し掛かったブリットファンク期の、涙ぐましさというか、何にもならない凡庸さというか。ブリットファンク自体が凡庸にしかなれないジャンルということを証明しているというか。アンディ・ギルはギャング・オブ・フォー停滞後、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ初期作のプロデュースなどをやっている。
寝れない夜に聴くアンビエント。アートワーク通り、nature recordingsによる統制されないノイズを統制すること。スロッビング・グリッスルの工業ノイズや、Grimm Grimmの公園の人の話し声のような、「field recordings」ではない。『フィールド・レコーディング入門』の出版も手伝って、ずいぶん目にする頻度の上がった単語だが、nature recordingsはfield recordingsのサブジャンル。
結果として自身の過去のどの作品にも似ていないアルバム。これもJojiやドン・トリヴァーやクルアンビンの最新作と同じで、聴き流すのに最高なアルバム。
思ったよりも現代音楽的に聴こえて驚く。でも小瀬村晶のような、非クラシック作家が現代音楽的な手法に接近したときの手つきに似ている。ソングライティングは本人によるもの、つまりJust Pianoという手法を得ることで、彼の作曲のアブストラクトさに聴き手が気づくということ。
「Ylang Ylang」はショート動画の音源として聴いたことがあった。2019年の時点でFKJは音楽性をここまで広げていたのか。メロウ風だが、そこまで満ち足りた感じではない。透き通っていて、悪くいえば空虚、良くいえば香りの音楽という感じ。でも「Ylang Ylang」という佳曲を生み出すソングライティングがある時点でFKJは優秀な作家なんだと思う。
最初期(2013年)のニューディスコから、ローファイ・ヒップホップ〜ネオソウルへ。トム・ミッシュやKnxwledgeの2015〜2017年ごろの作品と同時代性。その後トム・ミッシュの場合は、成功によるオーバーワークから闇堕ち、パンデミック下に内省的でアコースティックな作品を出す。FKJもまた、それに近いキャリアの進め方をしている気がする。
この企画がスベらなかったのがすごいし、スベらないクオリティに持って行った制作陣と、制作陣を集めたビョークの人間力が多分すごい。 ビートボックス(「ボイパ」ではない)流行の現在を先取りするような音像。人間の声やリップノイズの低音の心地よさ、俺は知ってる。
発射音のようなキックとスネア。シンセサイザーは『VULTURES 2』の1曲目イントロの不穏すぎる電子音を思い出す。「強」すぎる。
おもしろみ。かつて彼らのデビュー作に感じた刺激はもうないが、でも音のちょっとした意外性や心地よさを積み重ねること、そこは変わらない。フォー・テット変名の最新作と同じ回路で聴いてた。
BGM的な「聴き流し」に良い音楽。Jojiやドン・トリヴァーの近作にも似ている。
フォー・テットと同じ音色や音素材を共有しながらも、フォー・テットよりも確実にアブストラクトで、ダンス音楽としての機能性も抑えられている。変なサンプリングや、エレクトロニカ的な音の快楽性が前面に。
めっちゃおもしろい。一応デフトーンズ的なオリタナティブ・メタルがベースになっているけど、2010年代後半のシューゲイズ・ブームや2020年以降のブレイクビーツ再興を当たり前に吸収しながら2026年でなきゃ作れない音楽になっている。
以前から黒夢だと『CORKSCREW』が一番好きだった。音楽性はパンク・ロックなのに清春の歌唱がヴィジュアル系に軸足をとどめさせている。『CORKSCREW』発表後に黒夢は活動休止し、清春はハードコア・パンク・バンドのSADSを結成。SADSのベーシストは現ザ・クロマニヨンズの小林勝。
当時は鬱病的なダウナー作と思っていたが、普通に、「トラップが革新的だった」時代のレコードって感じがする。
ゲーマーである職場の上司が、残業続きで体力が残っていない日の夜は昔やったゲームの周回プレイをやる、と話していた。ピクシーズはそういう音楽。「Complete B Sides」なので決定的な作品ではない、アルバムとしての一貫性はない。でも流れているだけでフィールグッドになれるという、平日午後の昼ドラや、朝ドラの再放送をなぜかテレビから流しっぱなしにしてしまうみたいな音楽。
寝れない夜に聴いた。前作『SAW』よりも眠りに導入させやすい。『SAWII』は、①単純なフレーズの反復、②ディレイによる拡張、③ボイスサンプルによる安心、によってコクーンのような効果をもたらすからだ。 『SAWII』は『SAW』と同時期に書かれた曲からなる、すなわち『Kid A』に対する『Amnesiac』と同じ位置づけだ。『Amnesiac』が当初「Kid B」と揶揄されたように、アウトテイク集的な機能が強いはずなのに、『Amnesiac』も『SAWII』もどうしてここまで傑作と成ったのだろう。20代の作家特有の不思議なマジックがはたらいたとしか説明できない、批評が踏み込むことのできない創作の不可触領域のなかにある作品。
よく知らないサントラを聴くのは嫌いじゃない。これはレイ・ハラカミの曲が入っていたから聴いた。トリップ・ホップ〜ビッグ・ビート? レイ・ハラカミが『red curb』や『[lust]』以前に吸っていた時代の空気がわかる気がする。空虚なマッシブさ、筋肉質なナード感、無気力な意識高い系、そんな感じの音。実際の作家たちの人間性は知らん。
Kelelaが良いことは知っているけど、知っている以上の良さはない。2025年のライブ盤『In The Blue Light』が一番好きです。
グリッチ〜アンビエント。日本の作家だが、ちょっと調べただけではよくわからない人だった。音楽もわりと記名性が薄くて、その「なんかよさそう」な名義とタイトルとジャケット以外はとりたてて言及すべき事柄が見つからない。だけど国外で聴かれていることに今っぽさを感じるとともに、「お前らいい加減にしろよ」と海外の音楽好きに思うのだった。
ニュー・ウェイブみのあるプログレッシブ・ロック。そうか、1980年代半ばにはプログレッシブ・ロックはこうやって生き延びていたのかって。だって普段聴くプロッグって、ピンク・フロイドでしょ、キング・クリムゾンでしょ、かなり時代飛んでマーズ・ヴォルタでしょ。って、見事に80年代半ば〜後半の史観が抜け落ちてるわけ。売れ線になってからのロック(というかAOR)ってやっぱり聴いてない、でも今そういう音楽の再評価をしていかなければならないのもめっちゃわかる。だって、面白い時代の面白い音楽にはすでに誰かの手垢がべったり付いているんだもん。
星野源の音楽にドライブがかかったのが『Same Thing』から。チャンス・ザ・ラッパーやフランク・オーシャンの感性をJ-POPに持ち込むこと。小袋成彬や三浦大知の音楽的ピークが持続しなかったのは、「2016年以降」を音像という視点でしか捉えられなかったからだ。楽曲の時間軸における譜割りや発声法にとどまらず、その背後に潜む精神性のようなものにまで目を凝らすこと、星野源はそこに挑戦し、そして見事に『Same Thing』という失敗作を生んだ。だが星野源はそれによって向こう数年間の「ボーナスステージ」への挑戦権を獲得したのである。
素うどん、素パスタ、素麺。仮に「素ドリームポップ」というものがあればそれはこんな音楽だと思う。つまり、ギターをかき鳴らした音の余韻に耽美めいた自意識をもち、ボーカルの響きに価値を持たせる。けっして、ギターや歌にリヴァーブ処理を施す必要はない。歌声そのものが始めからもっている、「残響のようなもの」に心の耳を澄ませること。それがドリームポップの本質であり、このいつしか向上心を失った音楽ジャンルの「だらしなさ」なのです。
ポストミニマリズム的な聴き口があったほうが、スピリチュアル・ジャズ系は聴きやすい。というか、スピリチュアル・ジャズ自体が常にミニマリスティックな構造を内包している。ファラオ・サンダースがフローティング・ポインツと一緒にやったアルバムは特に最高だ。
「Innuendo (I Get U)」が、原口沙輔のプロデュースしたゆーり「うっちゃい」だ。やっぱり「ハイパーポップ」って音のテクスチャを表す言葉だったんだな。だから私は100 gecs以外の「ハイパーポップ」を受容れることができなかった。
すでに言われているように、ローリング・ストーンズのパブリック・イメージを現代のプロダクションで再現したアルバム。音楽的には80年代半ばで静止したバンドが、おそらく外部のプロデューサーによって息を吹き返す瞬間(メンバーもプロダクションに関わっているだろうが)。
「Marching Band (feat. Masego)」冒頭のラフなスキャット、その音響が本作の志の高さを象徴している。
①BrainiacとPOLYSICSをつなぐ1997年のline(そこにThe Blood BrothersらSass勢やTHE MAD CAPSULE MARKETSを加えてもいい)、 ②ZAZEN BOYS『すとーりーず』とトリプルファイヤーをつなぐ2012年のline(そこにDeerhoofやLightning Boltらを加えてもいい)。
自然体のグラム・ロック・アルバム。『Ziggy Stardust』はコンセプチュアルすぎて疲れる、Bowieより後進のグラム・ロックは音やルックスが形骸化して伝播しただけのもので、社会文化的な視座以外の純粋な快楽性のみで聴きとるに困難だ。Bowieの『Pinups』は、『Ziggy Stardust』や『Aladdin Sane』をやり遂げたあとの惰性やアウトテイクのような作品に見えるが、こういう「ピークじゃない」ときのBowieは好きだ。彼の死後にいくつかリリースされた、67、68年のアウトテイクや、74〜78年ごろのライブ録音を集めたアルバムを聴いてみよう。彼の「傑作以外」の顔が見られるはず。
音のよいソウル・アルバム。音が良くて助かる。こういう音楽は特別愛着はないが、音が良いので聴いていられるのだろう。キックやスネアの面(めん)の広さといおうか、ドラムスの頭上の天井の高さといおうか。
寝れない夜に聴いた、メロディアスすぎて寝れませんでした。次の日の朝に続きを聴いた、アブストラクトすぎて寝覚めが悪かったです。on4wordのAphex Twinカバーアルバムは、Aphex Twinのメロディーの良さをチープな電子音によって際立たせていた。
「自然」な感じがする。2010年代前半のUKベースから派生したUKファンキーという忘れられしサブジャンル、幾つものの才能が夢を潰えさせていった、2010年代の記憶。すこし違うけど例えばThe xxだって、かつて2ステップに接近した良作『I See You』を出したのち、バンドとしてはキャリアのピークを終えてしまった。閉じられるはずだった幾つもの円環が、閉じられることなく宙に散っていった、無念だけが空に残った。そんな塵のような宝石のかけらをかき集めたのがこのアルバムだとする、さすればゲストもビートのバリエーションも非常に納得感がいくものがある、そういう意味で「自然」なアルバム。
ジャック・ホワイトのギターは、分厚いチューブみたい(Tube Screamerという歪みペダルがありますね)。ギターとエフェクターから出される音の質感へのはげしいフェティシズム。前作『No Name』はその極北へ向かったアルバムだった。今作はもう少し音色の幅を広げ、ディレイ・ペダルが印象的に使われているが、アルバムとしては散漫な印象に。
エクレクティック。ジャンル・ブレンディングの先にあるのは均質化という笑えない結末。ともあれSpace Afrika、aya、Rainy Millerを繋ぐNorthern Gothicというタームがあるのは知らなかった、おもしろい。
「Dodecahedron」がYe『Yeezus』でビビった。ナイン・インチ・ネイルズに限らず、インダストリアルというジャンルにはいつしかマッチョな体感がまとわりついていたが、キム・ゴードンの『The Collective』といい、女性がボーカルをやるインダストリアルにはそういう居心地の悪さはない。なぜだろう。男性がやるインダストリアルは、その暴力的なビートに引き摺られるようにして、作家の男性性とか暑苦しさ/むさ苦しさを押し出してしまうのだろうか。こんなこと言ったらリベラルの人に咎められちゃうか。