ジャケットが良かったからという理由で聴いて知ったNYのプロデューサーのデビューEP。DisclosureやFred AgainといったUKの要素も血肉化していて非常に良く洗練されている。将来大物になるかも。
素晴らしいフォークアルバム&デビューアルバム。アコギやペダルスティールの左右の振り分けと録音が見事。「Bolo Blues」のベースも素晴らしい。Kacey Musgravesの最新作と本作は各楽器の優れた録音によってフォーク/カントリーを更新した作品として印象深い。ウィリー・ネルソンも参加している。
♥ 1
中音域の音が大きすぎない曲が良い。「Jealous Lover」とか。チャーリー・ワッツのロック畑ではないがゆえの性急さが作る空間性って独特だったのだなと。今回は良くも悪くも空間に隙間が無い録音が多い。
マーカス・ギルモアのドラムの凄まじさが良く分かるライブアルバム。タイトル曲が一番わかりやすい。
KindnessとAriel Pinkの交差点
ここ数週間で最もハマれたアルバム。NYで結成された音楽集団による本作において、ギターの軋み、ノイズ、スネア等々をマイクの近くで鳴らすことで音の生々しさを追求している。かといってチープな音ではない。つまりノイズ/ローファイの2020年代版。声を重ねたコーラスやユニゾンボーカルは非常に耳馴染みが良くポップと言っても良い。多角的に音が張り巡らされた非常に刺激的な作品。
日本や世界の各地を細かくツアーするという頭が下がるようなひたむきな活動がもたらしたものは、音楽性の幅ではなく禁欲主義と純化だった。ABサビの構成の強化、手数の多いアンサンブルとエレクトロニクスの配合。四つ打ちに収斂するリズム。新機軸は無く、音の定位はあまり変化も乏しく刺激不足。「これまでのどんな私よりも私になる New me」とは本作と今のYOASABIの事にしか聞こえないのだが、別人になった所が見たいかも。
音楽的幅は決して広くなく、ピアノやアコギで組み立てたであろう50s~60sのR&Bの楽曲が並ぶ。それがライブ・レコーディングのように録音されていて、かといってダイナミズムも無い。致命的なのは声の音量が大きすぎる。それが音数少なく料理した演奏の魅力を半減させてしまう。全てにおいて大味。
リズムや音は古くなっている部分も多々あるが、このレコードを聴くと、彼女はナンバーワンになってしかるべき存在だったなと思う。契約問題さえなければ。キム・ペトラスがレーサーのモチーフを使っているのも『Baby Driver』に彼女が出演していた事を思い出してしまう。
『Night Time,My Time』を思い出す。
バンド名以外、顔も来歴も今の所何も知らないがストリーミング時代のOs Mutantesとでもいいたくなる傑作。2026年上半期のハイライトの一つ。
♥ 2
メインストリームでは彼女しかできていなかったギターリフ主体のポップソングが無くなってしまったのが少し寂しいかも。見事な出来ではある。
メタル、プログレッシブ・ロックと形容されているものの、スネアやキックの録り分けもありアンサンブルに緩みは一切ない。バークリー音楽大学にいたメンバー達だけあり演奏技術はピカイチ。ジャンルの壁が崩壊したあとのThe Mars Voltaともいえなくもないかも。熱血という言葉を使いたくなってしまうほど全ての楽曲は情熱的でラテン要素とも相性が良い女性ボーカルが無茶苦茶ハマっている。『Sketches of Spain』を想起させるアートワークなのも伊達ではない。
ジャケが気に入ったので何も知らず聴き始めたが良い出会いだった。コンゴにルーツがあるフランスのラッパーの新作。トラップとアフロバッシュメントの交差点。Spotifyによると月間リスナー数が400万人以上いて、フランスで大半が聴かれているということは国民的人気があるということだろうか。28曲76分と大ボリュームなので咀嚼が大変だが飽きずに繰り返し聴ける。タイトルは『Golden Youth Music』という意味らしい。カッコいい!
バンド・アンサンブルが流麗にエレクトロなポップに取って代わる「Lo fugaz」やラテンポップと思いきやテンポが倍のドラムンベースに突入する「Sentaíta en la escalera」の様な楽曲って他にあったっけと。RosaliaへのLana Del Ray的回答、もしくはラテンで生まれたキャロライン・ポラチェックか。生音/エレクトロ二クス、メジャー/インディという二項対立からはるか遠くにあるジャンル/時代の横断性も随一のアルバム。発見と刺激があった。
自身の欲望には忠実且つ私の体は私のもの、相手の欲望にあわせる気は毛頭ないと歌う本作において、このアーティストはエレクトロ、ラテントラップ、(ハイパー)ポップを混ぜていく。 グライムスが『MOTOMAMI』をプロデュースし、エルテレサが歌っているかのような作品。ポスト・ジャンルの枠で語ることも出来るかも。16曲37分。
♥ 1
作詞作曲編曲、更に楽器の演奏をほぼほぼ自分ひとりで達成しながら、二度と戻る事はない無名の青年時代に思いを馳せたアルバム。故にポール節全開。宅録的/インディ的な作品とも位置付けられそうだが、冒頭の「As You Lie There」における最初のフィルインのダイナミズム、更にそこからスネアの音が2nd VerseとBridgeで変化するのを聴くと、もうすぐ84歳になる人のレコードとは思えない。いやー凄すぎる。過去を追慕しながら、ノスタルジーやナルシシズムに決して耽溺しない彼の姿勢が音からも伝わってくる。
偉大なプロデューサーでもあったChris Wallaが脱退してから10年余り。5人になって初めて『The Photo Album』までの自分たちを見つめ直したかのようなレコード。エレクトロニクスは後退しバンドとしての演奏に焦点を合わせ、初期作にはないグルーヴを刻み込んでいる。Deftonesもそうだったが四半世紀前の自分たちの作風を今更新できるのは本当に凄いことだと思う。
♥ 1
BPM130台のイーブンキックが基調ながら、テンポを落とした曲や2stepのビートもあり、アルバムとしては纏まりに欠けていると思うのだが、M83を思わせるドリームポップな歌モノ「Something That I've Never Known」が白眉。
ほぼThe Replacements、ちょっとだけPavement
『ヴィクトリア』(2016)というコメディ映画を見ていて(ちなみにアマプラとかでも視聴可能)、主人公の女性弁護士がクラブで人込みに紛れる場面(なんてことはない序盤のシーンだがハイライト)でかかった音楽に「この曲どこかで…」となって数秒後「!」となり聴き返した。Arctic Monkeys『AM』より2年先だったかもと思わせるシニカルなコーラスワークが加わったエレクトロポップ。三つのコードの円環の中で「この街は今では君の一番の友達」「もうこれ以上のものは手に入らない」「グルグル円を回っているだけ」と逃れられない都会の生活の虚しさ歌われる。彼らの最も聴かれている曲になっているのも知らなかった。
社会的属性で作家を語るのは憚られるものの、あれ程栄華を極めた白人男性が作る音楽に昨今まるでピンと来ないなと感じていたが、本作にはやられた。冒頭のアコギを聴けば、Radiohead「Go to Sleep」のギターリフは彼の存在あってこそだったのだと分かるし、『A Moon Shaped Pool』のアルペジオによる和声の分節化の方向性とも絶妙にシンクロしている。アンビエントとブラジルを繋ぎつつ、「Teacher」の様なアフロファンクを挟むあたりにイーノやバーンを思わせもして。素晴らしい内容。
彼のライブ前のSEでAvalanches『Since I Left You』やJ Dilla『Donuts』の曲がかかっていて閃いた。このアルバムは46分で一つのタブローを成している。冒頭の「Candlelight」の後の「No More Lies」以降BPMは全体的には後半になるにつれ落ちていき、客演もスネアの鳴りも影を潜めていく。まるで蝋燭の芯が溶けていくようにビートが薄れていく。その構成は「気が散る」というタイトルとは真逆の耳を澄ませることを意図したもの。興奮から安逸への誘い。このレコードに針を落とすことはキャンドルに火を灯すことと同じ。
♥ 1
Underscores『U』とRozzi『Fig Tree』、そして本作『TIGRAY FUNK』が今年一番聴いているアルバム。MIKEが主宰するレーベルからリリースされていて、Earl Sweatshirtのここ数作ともシンクロしていると感じさせるアンダーグラウンド・ヒップホップ。LP2枚組を意識した構成と音色の多彩さを追いかけていくだけで楽しく、エチオピア出身という彼の出自も反映されている。「SCHIZSHOW BOB」は『Bully』のどのトラックより初期カニエだと思う。32曲62分。
♥ 2
リリースから数日しか経っていないが私的今年の10枚には余裕で入るであろう作品と確信。というかNo.1かも知れない。60s~70sのR&B,Soulを基調としたソングライティング。しかしミニマル且つ選び抜かれたサウンドは明らかに2020年代の作品。Spoon『They Want My Soul』やAlabama Shakes『Sound & Color』を想起させもする。「Sour Grape」でロネッツ「Be My Baby」のあのリズムが聴こえたと思いきや「Lie」の様なエレクトロ・ポップもある。最終トラックはディスコトラック「It's Only Love」。傑作。
スネアとリムショット、「Abilene」のキックの鳴りと総じて生の太鼓類が見事に録られていて耳が飽きない。「Mexico Honey」のドラムの変化とハーフテンポも見事。傑作だった2018年『Golden Hour』のポップ寄りのプロダクションから一転し、ミニマルな演奏と空間を活かした録音を徹底することで、2026年に相応しいカントリー/フォークの傑作になっている。今の彼女は新たなピークにいる。
♥ 1
批評家の評価は作品を再考させることが無いという点で考慮に値しないし、かといって本作を手放しで絶賛するのにも首肯できない。イメージへの批評か信者の快哉しかない。しかし、二者択一のうち一方を選ばない事を指針とするならただ聴くほかない。誰かが示した文脈に乗ることも無く、作品に対して目や耳を開き続ける事。今年最も再生され聞かれていないアルバム。言説の流通させるパワーだけが全てを支配する世界にこれ以上相応しい作品はない。いじめっ子というタイトルもドンピシャ
「It's Alright」トラップビートに乗って「さくら」と同様五音音階で歌われる内容は神の様な俯瞰的な視点であり一つの呪詛でもある。2ndヴァースで彼の音楽の根幹であるピアノによって徐々に解き放たれていきリフレインに突入するが、その内容はヴァースで歌われた運命論にもう一度出会うという構図になっている。それはポップ音楽への愛によって日本的磁場から解き放たれたはずの彼が、世界に出ていく過程でもう一度日本人という出自と向き合わなくてはならなくなった現在の状況とそっくりに思える。しかし、彼はその逡巡すらも「Prema」によって全てを受け入れ祝福しようとする。この曲は彼のゴスペルだと思う。
RAYEの新作に触れて聴き返すことに。空間が余らなければグルーヴは跳ねないよなと再認識する傑作。
RAYEの新作に触れて聴き返すことに。力作である『THIS MUSIC MAY CONTAIN HOPE.』に自分が足りないと思うものは金物に対する意識だと感じる様に。この作品におけるウォーキング・ベースの上を跳ねるハイハットこそがグルーヴなのではないか。
この約100年前のアルバムに肩を並べることのできる作品はほんの一握り。『罪人たち』が今日性を帯びるのも納得と言わざる負えない。ギターは打楽器であることを証明する作品でもある。
一枚目のアルバムにはモータウン/スタックス/アトランティクスが色濃く反映されていたが、三枚目の本作ではR&B、Soul、Funkと自身の出自でもあるブラジルのMPBが合流する。同年に発表されたLeon Wareの傑作『Musical Massage』と肩を並べても全く遜色ない。「Onda」はNxWorries「Link Up」にもサンプリングされている。Covid-19によって偉大な才能が奪われたことが口惜しい。レアグルーヴという枠を超えて聴かれて欲しい名作。
チープな音質と特殊な声色を無視するとトラップからジャージークラブまで吸収しつつA/B/サビ構成も担保しながら逸脱もある興味深いレコード。YOASOBI「アイドル」に最も近いのはOP/EDを担当する作家の曲ではなく(前作も含めた)キャラソン集なのは間違いない。
4年弱の活動空白期間についてのアルバム。「Into the Sun」におけるオートチューンから生の声に、パッドで作ったビートから生ドラムのフォルティシモに変化するダイナミズムを聴くと次作への期待の方が遥かに強くなった。
冬の凍てついた空気が解けていく予感を感じ、風が体を緩やかに通り抜けていく春にも相応しい本作はBibioの登場以前、Fennesz 『Endless Summer』の翌年にKrankyからリリースされた。点描のような最小限且つ柔らかいビート、ウワモノはレイヤーを幾重にも変えていく。長調と短調の交錯は期待と不安の表象かのよう。夜桜見物のお供にもおすすめ。
音楽的にはポストパンクの影響下ではあるし、コードやリフの最小限の反復による楽曲は一見端正にすら聞こえるが、実はリフレインばかりの歌詞だったりトライアド基調の和声はド直球だったりする。各パートの演奏の力は抜けているがダイナミズムがあり、ドラムの音の抜き差しに対しギターはオーセンティックに鳴っている。それはこのジャケットに『Romance』と名付ける感覚に似ている。ノエル・ギャラガーは『Standing On The Shoulder Of Giants』ではなく、コレが作りたかったんじゃないかと考えてしまう。
北米のポップが最先端だった時代ーー2010sは綺麗に終わったなと思った。 「さよーならまたいつか!」 追記。 本作の意匠にDavid Bowie→LCD→Harryの文脈を読み込むことは可能。だが本作はポップソングのヴァース/コーラスの構成にLCDやHot Chipsのアンサンブルの意匠を嵌めこんだに過ぎない。Bowieの様なベルリン時代以前のブラックミュージックへの研鑽も無ければ、LCDの様なクラブミュージックへの理解も無い。「Someone's Great」の様なグラデーションは本作には無く、ポップソング的構造が強調された曲ばかり。スネアやキックの鳴りも時代がかっている。つまりポップ・スターと生活者の間で揺れ動きながら、音楽への情熱を胸に嘗てとは別の場所を求めて漕ぎだしたレコード。タイトルにいつも/時々が交錯しているのも彼の今のモードの現れ。勇気ある撤退。
マーカス・ギルモアがブラッド・メルドー、クリスチャン・マクブライドと共演した去年の来日公演が無茶苦茶良くて、彼の生ドラムの演奏の音色と鳴りのコントロールに痺れてしまったのですが、本作における太鼓と金物の鳴り、マイクで拾った音と打った音が溶け合ったこの作品を聴いてより生演奏、即興性と録音の交差点の最新鋭はJazzにあるなと思うように。11曲20分。Flying Lotusの名作『Cosmogramma』が好きな人にも是非聞いてもらいたい傑作。
♥ 1
ポスト・グランジのマッチョイズムをリセットし、シンプルネスに回帰したという文脈が根強いし間違いないのだが、彼らが生楽器の録音作品において、雑に扱われていた音とそのコンビネーションをもう一度取り戻したということが大きいと思う。手っ取り早いサンプルは代表曲でもある②。ハットを抜いた太鼓と裏を意識したギターが、ハットを伴い跳ねたシャッフルの8ビートを刻むだけでコーラスパートで解放感を生む。ヴォーカルががなる必要も、ギターを歪ませる必要もなく、音価の短い音だけが並ぶ。嘗てはあったはずの細やかな機微と綾がここでは新たに息を吹き返している。それは2026年のバンド作品に必須の音と空間性への意識とも繋がるものである。古くて新しい、ミニマムかつ鋭敏な感性は、21世紀の「The Modern Age」に相応しい。
本作のツアーを見たが、彼の最大のチャームは声でもソングライティングでもなくぶっきらぼうさである。感情の発露や気分によってインディーフォーク/SSWの枠を逸脱する時(具体的にはオートチューンによるヴォーカルの変化、原曲にはない楽器の抜き差し静と動の行き来等々)必ずハイライトになる。Fiona AppleやModest Mouseとも近いかも知れない。 この音源の中にはその瞬間はほぼ録音されていない。ルーツ回帰の様相は綺麗に整理された微細な音像からして意図的であり、それは恐らくRCAからの初めてのリリースという状況も関わっているはず。彼の最高傑作が出るのはこの先に違いない。Elliott Smithか、Neil Youngか、Teenage FanclubやBig Starか、それとも…
タイトル曲でもある1曲目。2010年代の象徴の一つの3連のリズムのピアノに沿って歌われる「Goddamn, man-child」という歌詞、そしてドラムレスのまま緩やかにサイケデリアを纏いながら、決して酩酊することなく声だけがくぐもり遠ざかっていく。60年代後半から70年代前半の激動期とシンクロするこの曲が予見していたのはパンデミックの陰りだけではなく、例えば映画『インヒアレント・ヴァイス』が描いた革命を標榜していた空気が消え去った後の弱肉強食の権力構造ともシンクロする。10年先まで予見してしまっていた傑作。
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